【赤壁】
  黒田孝高(よしたか)はこの地方の有力武将であった宇都宮鎮房(しげふさ)を謀略結婚により、中津城に誘い出し殺害した。 そしてこの寺を宿舎としていた鎮房の従臣たちはここを拠点にして、黒田陣へ応戦したが全員討ち死にした。 この戦いで門前の白壁は血で染まり、以後いくら塗り替えても血痕が浮き出てくるために、ついに赤色に塗ったものといわれる。 この寺の大黒柱には刀傷が残り、激戦の様子を物語っている。  
 

【村上医家史料館−1】
  1640年から続く村上医家の所蔵品を展示している。 ここの管理をされている「本徳照光」さんに話を聞くことができました。  
※自由広場にて紹介しています

【村上医家史料館−2】
  「全国に医学関係の歴史資料館は三十余りあります。しかし、御典医の屋敷をそのまま史料館にしている例は他に無く、そのため空調などの設備がなく貴重な展示品の保存が大変です。」  
 

【村上医家史料館−3】
  シーボルトより蘭学の教えを受けた村上家7代「玄水」は、人の治療は外科が基本で、内科の漢方では治らないという思いが強かった。 1819年(文政2年)「玄水」は藩の許可を得て、近在の医者59名が見守るなか人体解剖を行った。これは日本で26番目、九州では最初であった。  
 

【村上医家史料館−4】
  展示品に「解体新書」がるが、これは教科書で習ったことがある。「ターヘル・アナトミア」という医学書を、杉田玄白が前野良沢・中川淳庵の協力を得て翻訳したとするもので、日本医学の基礎を造ったといわれている。 しかし本徳さんのお話によると、中津藩出身の良沢が翻訳事業の中心であったことを証明する玄白の手紙が発見されていると教えていただいた。