【勘定場の坂】
  4人担ぎの籠が、3歩で一段進めるように作られたこの坂は主に武家が通った  
 

【杵築(木付)城-1 】
 

大友氏2代目の六男が、鎌倉幕府より木付壮に七千石を封ぜられ、地名の木付を氏とした。

そして木付氏4代のときに木付城を造った。

宗家大友義統が、朝鮮の役で豊臣秀吉の怒りにふれ滅亡して、それに伴い木付氏も17代、344年間に渡る統治の幕を閉じた。

 
 

【杵築(木付)城-2】
 

その後、細川忠興・小笠原忠知と藩主の交代が相次ぎ、1645年に能見松平秀親(ひでちか)が、3万2千石で城主となり明治4年に廃藩となる。

 

 
 

【杵築(木付)城-3】
 

松平家になると、幕府の一国一城令により城は平地に移転した。

また将軍の身内でもあり、実際の所領は5万石だったとも言われる。

 
 

一松(ひとつまつ)邸
 

昭和初期に衆議院議員をつとめた、一松定吉氏の邸宅

武家屋敷を意識した純日本建築で、昭和4年に5万円の費用と2年間を掛けて建設された。当時千円普請といわれる一般家屋の50件分にあたる。

110坪の広さと、15部屋の間取りのこの邸宅では、桧・杉・桜・桐・栂・黒松・黒柿など多種多様な木材のうちでも、一番良質なものを使っている